「なんの衒いもなく、なんの外連もない」
と書いた。昨日、ダンススタジアム近畿予選、一条高校のダンスを評して俺はそう表現した。
はからずもそう直感したのだ。
いずれも難しい言葉やな。
衒い、とはてらいとよむ。
「衒いがない」とは、こころの内側において見せびらかすような自慢するかのような態度、がないということ。
そこには技術や知識を無理に押しつける不遜はなく、
素直でありのままをこころの赴くように踊る。
外連、とはけれんとよむ。
「外連がない」とは、外面に表出するごまかしやはったりなど俗受けを狙う奇抜で過度なわざとらしい演出がない、ということ。
そこには衒いも外連もない、と一条のダンスを俺はそう記したけれど、
そんなダンスはおそらく、ここにしかないんやろと。
希少生物か絶滅危惧種かの如くやな。
やり続けることかな。
村上春樹風にいうならば、それをレゾンデートルとして。
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