奈良県で教員として採用され、生活を始めたのが平成元年。平成ととともに29年が経つわけです。

縁もゆかりもないこの奈良の地で暮らすことになるとは思いもせずに30年目に突入しようとしています。

考えようによっては何か縁があって、何らかのゆかりがあってこうやってここで暮らしているということになるのかもしれない。

県立高校で20年間を過ごし、市立一条高校に来て9年間が過ぎようとしています。さて一条高校にも基本的には縁もゆかりもございません。

まあこれももしかしたら縁もゆかりもあってのことかもしれないな。

県立高校であればそろそろ転勤という時期ではありますが、一条高校では少し事情が異なります。ここ一条高校では20年とか30年とかあるいは40年という教員生活を送るということもまれではありません。

そのような事情からガラパゴス諸島のように独自の進化を遂げ、この場所で多機能高機能の部分最適を遂げてゆくという性質をもつことも考えられます。

良い面とそうでない面があるんやろな、と。

どのように大陸との互換性を担保することができるのか、部分最適に陥らずに全体最適のバランスをとりながら仕事を進めていくことができるのか、自問自答しながらの日々を送らなあかんのやろなと

そんなことをそろそろとつらつらと考えております。