オリンピックスタジアムが完成した。2020年、東京オリンピックのメイン会場となるこの新しい国立競技場。

この国立競技場の設計を手掛けたのが建築家の隈研吾氏であり、そして2020年、完成予定の一条高校新講堂のデザインを担当するのも隈研吾氏である。

こんなことは滅多なことではないな、と誰でも思うであろう。

2016年2017年、一条高校の校長を務めた民間からの登用である藤原和博氏の大いなる尽力で一条新講堂が建設される。その藤原氏とのつながりで、隈研吾氏がこの一条高校の新講堂を手掛けることになった。

最初、新講堂が建設されることさえ誰もが半信半疑であったのであるが、そこに世界的な建築家である隈研吾氏が設計に加わることになるとは、誰も予想などできない。

しかしながら世の中ではこんなことが起こりうるのだ。

2016年、11月の快晴の日曜日、青空しかない春日大社の奉祝マルシェで一条高校ダンスは踊った。そのイベントを観に来てくれた藤原校長は何か名案を思い付いたのだという風にダンス部顧問にある提案をおこなった。

それが新講堂の建設である。

「新講堂を作ったらどうかと思うんだけど、先生はどう思う?」と。

即答した。

「作りましょう。絶対に作りましょう」と。

それからこの新講堂建設のプロジェクトが動き出した。

といってダンス部顧問が動いたわけではまったくない。

藤原校長が圧倒的な果敢さをもって動いたわけである。

それでも、当初誰も本気にしていなかったように思う。そんなんできるわけないやんと口に出して言う人間にたくさん出会ったが、ダンス部顧問は確信をもってこの新講堂建設の動向を見ていた。

ほぼ時を同じくして県立高校の移転問題をめぐって教育施設の耐震基準が大きく取り上げられ、もはや旧来の講堂の使用はまったく不可能というところに追い込まれていた。

ギリギリのタイミングで新講堂への移行が実現したわけである。

藤原校長はダンス部のイベントや大会予選や両国国技館の大会本選など、ダンス部の応援にかなりの熱を抱いて何度も駆けつけてくれていた。

手前味噌になるが、一条高校にダンス部がなければ新講堂の建設はなかったであろうと思うし、当然、隈研吾氏の設計もなかったことになる。

建築物にはその時代を生きる人間の持つすべてが宿っている。そして、そこにまず最初に存在するのは、何かをやり遂げようとする熱い思いであり、踊ったり歌ったりする、よろこびの表情である。