ものごとの本質を知りたいと思うのなら、そのものごとのそもそものはじまりを知ることが大切である。いつ、どのようにして誕生したのかを。

一条高校の講堂に「観自由」の言葉が掲げられている。当時の文部大臣による書であり、奈良市長から創立時の一条高校に贈られたものである。それから62年が経過する今も変わらず一条高校の教育理念であり、脈々と受け継がれるべき伝統といえる。

「本当の自由について考えることのできる人が育つこと」

一条創立時の1950年というのは、講和条約が結ばれる前であり、日本国はGHQの占領支配下にあった。1951年にサンフランシスコ講話条約が結ばれ1952年に発効し、日本国は主権を回復する。一条創立当時の教職員の写真には、その中央にGHQ民生部教育課長であったアメリカ人のミレット中尉なる人物が写っている。

戦後アメリカから自由と民主主義の価値観が持ち込まれた。しかしその価値観を安易に受け入れるのではなく、自らその意味を問おうとする真摯な姿勢に一条高校創立に関わった人達の気概と情熱を感じ取ることができる。高い理想を掲げて船出をした一条丸であったが、初年度の生徒は定員250名に対して入学者は100名ほどであった。第一回の入学式は淋しいものとなり「新入生ばかりでなく、父兄も来賓も職員も気の抜けたような、志気阻喪が見られたのは残念であった」と初代渡邊校長は述懐している。「…この淋しい入学式も却って職員に異常な発憤を起こさせ、生徒にも善美な一流校を作りたいとの不退転の決意を固めさせ、…その後の一条高に、大きな推進力となったことは面白いことであった」とも。

伝統も校風もなく、心意気や情熱を帆に受け航海を続けてきた一条丸。先輩たちの開拓者魂が自由な校風を育み、一条高校にもたらした。

ただその魂を今の航海士が失えば「自由」もまた失われてしまう。新しい港への新しい航海は新しい航海士に任されている。

(2012年 2年9組 学級通信より)

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