なかなかに起死回生の一撃を放つことは難しい。当然のことながら。
そんなことは重々分かっていながら期待をしてしまうのもまた世の常。
状況を打開し、新しい局面を迎え入れ、誰もが微笑み、納得する。
そこへたどり着こうとする、その粘り強い努力はやはり必要なのかな。
先ほど、テレビで1960年代後半の世界各所における若者たちの反乱の映像を観ながら、
そんなことを考える。
21世紀に存在する新たな正義など、無い。
絶対的な正義など、存在したためしは歴史上一度も無い。
正義の名のもとに、この地上で多くの蛮行が繰り返された。
だが、それでも何が人びとを結びつけ、希望へとつながっていくのか、
考え続け求め続けた歴史は存在する。
希望へとつながる多くの言葉は存在している。
その時代、その場所で、その人々の間で、希望へとつながる言葉が紡ぎだされた。
1987年、ベルリンでデヴィッド・ボウイは壁の向こう側に向かって歌い続けていた。その2年後、壁は崩れた。
先ごろ亡くなったデヴィッドの追悼に、ドイツ外務省はその感謝の言葉を送っている。
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