大学をどのような基準で選択して志望するのか。もちろん人それぞれではあるだろうけれど。
少なくとも1980年代に、関西の私立大学でもっともスマートな印象を世間に与えていたのは関西学院大学ではないだろうかと、
勝手にそう思います。
KWANSEI GAKUIN です。
1983年 4月 関学に入学して最初に友達になったのがアメリカンフットボール部のふたり。そんなこともあって毎年12月甲子園ボウルに応援にいくことが楽しみであった。
そのときの関東の雄は日大フェニックス。この2校が連日報道されている。
関学の小野ディレクターは小生が入学して1回生のときの4回生で、当時のエースQBであり、学内ではスーパースター的存在であった。
関学の鳥内監督も、試合をなんども応援に行っているこちら側からしたら、一方的にではあるが、前々からよく知っている存在である。
5月6日のこの試合、このルールから大きく外れたレイトヒットを知ったのは5月の8日くらいで、SNSにあがっている動画を偶然発見し、これはこれまでに一度も見たことがないプレーであり、これがこのまま見過ごされたりしてはならんな、と強く感じて、これは、いったいどうしたらよいのかと 思案していた。
ひとりのスポーツジャーナリストがこの関学と日大の定期戦における悪質な反則を看過すべきでないと、問題提議する形でそのプレーの概要を強い憤りともに提出しており、そこに動画がリンクされていた。
これだけではなくいろんな方面から湧き出るようにこの問題が取り上げられ、ふだんそれほど大きく取り上げられることもない学生アメリカンフットボールのこの一件が世間で大々的に報道される展開をみせている。
SNS上で日々どうでもよいようなことが炎上してまさしくどうでもよい問題になったりしている世相の中で、この問題はSNS上で大きく問題になることによって世にさらされ、SNSがその果たすべき役割を的確にヒットしたといってよいだろう。
日大の監督が辞任を表明した空港での釈明会見の時、この問題が現在SNSで叩かれていることを心外だなどと言っているのは、まったく当たらない。なにかの不条理に突然巻き込まれたわけでは決してないのだ。
日大の監督の遅すぎるこの会見を見る限り、この悪質なタックルのそのレイトヒットの本質がさもありなんと如実に透けて見えてくる。
そういうことなんやな。
大学日本一とか、優勝とか、そんなことはどうでもよいのであって、そんなことのためにフットボールをしているのではない。
目標ではあっても目的ではない。
しかしながらそこに向かって互いに高め合い、競う合うことはかけがえがないことであって、指導者の名声や栄達や成功や出世や欲望のために、闘っているわけではない。
もちろん死にもの狂いの努力が結果に結びつくにことに越したことはないし、指導者であれ、選手であれ、だれであろうとも夢やロマンを追いかける権利はある。やればよい。
ただ勝利だけがすべてではない。
なぜこの選手がこの日だけこの試合だけ、こんなプレーをしなければならなかったのか。最初のワンプレーでいきなり15ヤード罰退の悪質なタックルに走らねばならなかった。あまりに不可解であり、まったく釈然としない。
いま、やらなければならんことは関学の選手を守ることと同時に未来ある日大の選手を守ることである。
このタックルをしなければならなかった選手をまったく守ろうとしない、そんな監督やコーチなどのそんな指導者ばかりの日大にはもはや自浄能力はゼロなので、別の機関による別の方法をとるしかない。
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